2005年 渡辺真紀子(フィリピン・ヌエバビスカヤ州に派遣)

ジーエルエム・インスティチュートは、第3期フィールド・リサーチ・アシスタントとして渡邊真紀子さんを採用し、フィリピン、ヌエバ・ビスカヤ州へ派遣いたしました。本稿では、1年間の研修を終えて帰国された渡邊さんより、報告していただきます。
第3期フィールド・リサーチ・アシスタント(FRA)の渡邊真紀子です。1年間のフィールドワークを終え、フィリピンより帰国いたしました。無事帰国できたのも、貴重な体験を積むことができたのも、会員の皆様の暖かいご支援のおかげです。大変ありがとうございました。フィリピンでの体験は大変濃密で、何からご報告差し上げるべきか迷いました。本稿では、(NV/ALDS)を中心に、FRAの活動内容や現地の様子、得られた知見などについてお話します。

NV ALDS 住民主体の資源管理

NV ALDSは、フィリピン国ヌエバ・ビスカヤ州の重要水源地域に住む住民の生計向上を支援するプロジェクトです。当プロジェクトは、GLMiと現地パートナーNGOフィリピン農村再建運動(PRRM)との連携により実現しました。NV ALDSの根幹を成す概念は、住民主体の資源管理。上意下達であった中央集権的な資源管理を地域住民の手へ委譲し、かれらの主体的管理に期待するのです。GLMiの協力により、住民主体の資源管理を行う活動母体としてCBFMA(共有林管理組合)が組織されました。

 

プロジェクト対象地域となったヌエバ・ビスカヤ州の山間地では、森林劣化が深刻です。地域の多くを占める先住民は、進む環境劣化により、傾斜地や限界耕作地で農耕を行わざるをえません。そして貧困が、かれらを焼畑等の環境破壊的農法から抜け出せなくしています。地域住民は主体的に森林管理を行う余裕や直接的な動機をもちえない、という現実があるのです。

ピンキャン村住民向け練炭生産相互交流学習

NV ALDS CBFM 練炭生産とヤギ飼育

住民の余裕や動機を創出するために計画されたのが、NV ALDSによる生計向上支援です。ピンキャン村とバアン村に結成されたCBFMAにて、練炭生産とヤギ飼育が、それぞれ実施されました。

 

練炭生産は、ピンキャンCBFMAがコミュニティ・ビジネスとして起業することを目指したプロジェクトです。違法伐採に原料を依存することの多い既存の炭生産に対し、当練炭は枯れ木や枝、未利用の森林資源などを有効活用してつくります。炭化の途中で出る煙を液化して採取した木酢液は、有効なバイプロダクトです。土壌の状態を改良することに効果があるようです。このようなエコ製品が普及すれば、地域の産業振興と環境保全の両面において大変有益なはずです。地元行政機関および比天然資源環境省からも期待されました。地域の住民の積極的な関与がみられ、手作業で1トン近い練炭を生産し、試験販売までこぎつけました。違法伐採による低価格の炭を取り締まる条例を発効させることも何度も議論されました。しかし、結局現地政府による政策準備は思うように進まず、ピンキャン練炭を上市するには至っていません。

 

バアン村ではヤギ飼育が行われました。ヤギは傾斜地でもよく育つため、地域環境に適した家畜です。その一方で植物の若芽や根まで食べ尽くすという短所もあります。住民による環境にやさしいヤギ飼育を普及することがプロジェクトの主眼です。限られた資金を効率よく使うために、小屋(写真)と飼料栽培園造設を、ヤギ受け取りの条件として住民に課しました。13名の希望者のうち、10名がそれら条件をクリアし、ヤギ飼育を行っています。私の滞在中に、4頭の雌ヤギから9頭の子ヤギが生まれました。子ヤギの半数はバアンCBFMAへ返却することが義務付けられています。戻ってきたヤギが、環境に負荷の少ない飼育方法とともに村中へ普及することを願っています。

NV ALDS 得られた教訓

生計向上プロジェクト支援を通して、コミュニティ・ビジネスの難しさを改めて感じました。難しさのひとつは需要です。ピンキャン村の練炭はエコ商品として注目にあたりますが、製造コストがかかり、薪や既存の炭に比べ高価です。よって、都市部に市場を探すことになりますが、いわゆるエコ商品や貧困層の生計改善を目指して生産された製品も、通常の製品と同じ市場で競争に晒されます。政府からの補助金や違法伐採取締り強化など措置が施されない限り、消費者や取引先が価格の安い商品を選択することはやむをえません。

 

ところが、フィリピン天然資源環境省はこれら措置を十分に行う力をもちえていないのが現状です。商品の流通や品質管理にかかる知識やビジネス思考を備えた人材がNGOに少ないことも問題のひとつでしょう。コミュニティ・ビジネスにはさらに、責任の所在が曖昧になるという難点もあります。フィリピン国内の他の地域で練炭生産ビジネスが成功した例は、都市周辺での個人経営という形態をとっています。これに対し、ピンキャン村は住民組織全体を対象としたプロジェクトでした。後者のような「みんなのビジネス」において参加者の主体性を醸成することは、前者に比べ困難なようです。

バアン村 住民によって建てられたヤギ小屋

FRAの業務

FRAはPRRM OJTとして、現地人上司の下、現地スタッフを先輩として仰ぎ、業務にあたります。仕事の内容は、派遣前にGLMi、PRRM間で交わしたTOR(委任事項)に基づきます。実際には、PRRMは人手不足に悩んでおり、TORにないこともたくさん手伝いました。自分にとって大変勉強になりましたし、PRRMにもそれなりに貢献できたと思います。事務所での主な業務をご紹介しますと、NV ALDSフィージビリティ・スタディのドラフト作成、住民向け研修計画策定、研修資料および議事録の作成、地元政府機関やNGOとの調整業務、NV ALDS月間・最終報告書ドラフト作成などです。

 

フィールドワークでは、研修のファシリテートと補佐、モニタリング等を主に行いました。練炭生産を手伝いにピンキャン村に一週間近く泊り込んだこともあります。バアン村では、地元の獣医による指導の下、住民とともに山羊へのワクチンやビタミンの投与なども行いました。TOR外の活動としては、休みの日にPRRMの同僚とともに、練炭や木酢液のテスト販売などを行いました。住民が資金調達のために行ったプロモーションTシャツ販売ではデザインを担当しました。近隣の小学校から招かれて、練炭生産を説明しながら環境教育の講義を行ったことも印象深い経験です。

バアン村の住民の家の前で

開発理論と現場 開発ワ-カ-の視点

学部、大学院を通して、熱帯の天然資源と住民の関係について勉強、研究して参りました。JICAミャンマー事務所での3ヶ月のインターン以外に長期でのフィールドワークは経験したことがありませんでした。FRAに選ばれるという幸運を得た去年の11月、開発の現場で「リアリティ」をみつけたいと期待に胸膨らませ日本を発ったことを覚えています。1年のフィールドワークを終え、果たして現場の「リアリティ」はみつかったのかと自問自答しました。その問いに現在の自分が用意した答えは、「リアリティ」はみつけるものではない、ということです。「リアリティ」はそこにあるものではありません。開発のあらゆる場面で常に努力して自分の感覚を磨いた結果、感じられるようになるものなのでしょうか。そんな風に考えるようになったことだけでも、収穫だと思います。

 

先進諸国や一部の人間によって組み立てられた理論を現場に押し付けるのは適切ではありません。また、現場で自分がみているものがすべてだと思い込むことも、開発ワーカーとしての素養に欠けるでしょう。ひとりの人間が、文化も価値観も違う世界ですべてをみよう、というのはほぼ不可能です。せめて、自分が今「何をみているか」だけでなく、「何がみえていないのか」に配慮できる人間でありたいと思います。

今後のキャリア形成へ向けて

国際協力分野でのキャリア形成を目指す私は、周りからよく「大変だね」とか「本当に貧しい国が好きじゃなきゃできないよね」といったことを言われます。若い人たちからは、「自己啓発のためにやっているの?」といった質問も受けます。また、「外国で頑張る元気があるなら、日本で困っている人を助けてよ」と言われることも多々あります。これらの意見に共通しているのは、開発ワーカーという仕事を、いわゆる奉仕活動を行うボランティアの延長線上に見出している点です。どんな仕事だって、大変なのは当たり前。敢えてそれを指摘する人には、国際開発協力という仕事が、自己犠牲に成り立っているという前提があるのでしょう。以前は、開発ワーカーは有給ボランティアとどう違うか、ということを考えることもありました。

 

しかし、今は考えが変わりました。一流の開発ワーカーは、当然のことながら高い職能性や協調性、鋭い感覚などを備え、それに加えて高いボランティア精神も持ち合わせるプロです。利他的精神など、尊い志は素晴らしいものです。しかし、それだけでは、「自己啓発ですか」という質問を甘受せざるをえません。GLMiが現在行っている人材育成はまさに、開発ワーカーに必要な要素をバランスよく持った人間が集い、育つ現場を提供していると思います。自分もそこで育ててもらいつつある人間のひとりです。また、日本国内でそういった人材を育てることは、長期的には日本に好ましい形で還元されるはずだとも考えます。

 

色々な意味で大変厳しい分野ですが、私は国際開発分野で生きて行くつもりです。GLMiの皆様のご協力のおかげで、開発ワーカーとして良い第一歩を踏み出すことができました。ここにもう一度、心より感謝申し上げます。本当に、どうもありがとうございました。(渡邊 真紀子/FRA)