開発援助の現場から第11回 ウガンダ:教育支援

2010/04/01

西村幹子(GLMi理事)
私が最初にアフリカの地に足を踏み入れたのは1998年のことです。当時、国際協力事業団のジュニア専門員だった私は、教育分野の企画調査員として東アフリカのウガンダとケニアに1年間派遣されました。ウガンダでは大統領の選挙公約により、初等教育の授業料を無償化するという政策(以下、無償化政策)が突如として採られた直後で、学校には生徒が溢れ、中には3歳くらいにしか見えない子どもまでが小学校に押し寄せて混乱していました。
ウガンダの教室にあふれる子どもたち(2007年)
そのような中、日本の教育支援内容を探るのが私の仕事でした。まずは現状をこの目で見なければ、と様々な地域の学校を100校以上訪ねて回りました。20~30校ほど訪ねたころでしょうか。とても気になる現象が目を引きました。学校は生徒で溢れているのですが、なぜか骨組みだけが完成した教室、途中まで煉瓦が積み上げられたまま放置されている建物、屋根とドアがないトイレ、など中途半端な建物が学校の敷地内に点在しています。
学校長や教員に話を聞くと、皆口を揃えて、無償化政策が開始された直後から、生徒たちの親やコミュニティが建設をストップしてしまった、と言います。私は、思わず、「今が一番必要な時期なのになぜ?」と聞きました。すると、「無償化政策で学校については政府が全てやってくれるはずだから、親は何もしなくなった」と言います。当時、政府の財政能力をみても全ての学校建設の需要を満たすことは不可能であることは容易に想像ができました。しかし数ヶ月経っても状況は変わりませんでした。
2005年から3年間、今度は研究者として再びウガンダの教育政策を研究する機会があり、年に二度ほどウガンダを訪問しました。その際に驚いたことは、7年前の状況がそのまま続いていたことです。学校では教員の足の踏み場もないほど生徒でひしめいた教室が目の前に飛び込んできます。親やコミュニティの学校への態度は依然として消極的で、学校が会合を開いても出席する者も少なく、非協力的だと教員や地方教育行政官が嘆いていました。
保護者へのインタビュー風景(2007年)
この間、多額の援助がウガンダの教育セクターに投資され、何千もの教室が建設され、教員が雇用され、教科書が配布されました。しかし、学校運営には活気がなく、コミュニティの参加も得られないという状況が続きました。
私が3年間にわたり携わった調査で、無償化政策についてケニア、ウガンダ、マラウィ、ガーナの事例を比較したものがあります。この調査結果では、政策導入から10年以上の時を経てしまったマラウィを除いて、全ての国にトップダウンかつアドホックな政策導入の結果としてコミュニティや親の消極的な態度が発生したことが確認されました。学校での教育内容や活動についても親たちは意見を言ったり関与することが少なくなったと言います。中でもウガンダのある地方教育行政官が言った一言が印象的でした。

2007年7月25日:インタビューノートより

無償化政策は人々への相談が一切ないトップダウンの政策だった。我々に与えられた唯一の選択肢は、ただ政策を受け入れるために適応することだけだった。人々は自分で決めたことについては所有意識をもつ。しかし、無償化政策プログラムについてはまったく相談がなかったため、一般の人々は自分たちのものと思っていない。このプログラムについてもっと一般の人々に相談されるべきだったと思う。

この間、多額の援助がウガンダの教育セクターに投資され、何千もの教室が建設され、教員が雇用され、教科書が配布されました。しかし、学校運営には活気がなく、コミュニティの参加も得られないという状況が続きました。
初等教育無償化政策は、初等教育の完全普及という国際目標に向けて、国際機関等の支援を得て多くの途上国で導入されている政策です。就学率が著しく改善し、初等教育が完全に普及したように見えても、学校現場での混乱と学校運営の弱体化の問題に目を向けなければ、その持続性は極めて危ういものとなるのではないかと感じます。
◆質問などがありましたら…

 

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