みんなのキャリアパス第4回 東京医科歯科大学大学院教授:河原和夫さん

2012/11/04

「みんなのキャリアパス」とは、大学、NGO/NPO、開発コンサルティング企業、国際機関などで活躍されている国際協力の「プロ」にGLMインスティチュートのインターンやボランティアら、これから国際協力の一歩を踏み出す「卵」が中心となってキャリアや国際協力への想いをインタビューする新企画です。国際協力分野に興味がある人、将来国際協力分野で働きたいけど、まず何をしたらいいかわからない人とって必見の内容となっています。
インタビューした「プロ」たちは、皆熱い想いに溢れる魅力的な方たちでした。このインタビューが少しでも皆さんの夢を実現していく上で、お役に立てればと思います。今後3月までを目処に定期的に記事を更新していきますので、是非ご覧ください!
GLMi事務局より:

本企画はインターン、ボランティアを中心に立ち上がったみんなのキャリアパス実行チーム、略して「みんパス チーム」による 参加型企画です。彼らの自主性を尊重し、インタビュー対象者の選定やインタビューのまとめ方も「みんパスチーム」メンバーがそれぞれ行い、回ごとにまとめ 方が異なる場合もありますがご了承ください。また、インタビュー対象者も実名掲載の方、匿名希望の方などいらっしゃいますがこちらもご了承頂けましたら幸いです。

本企画は2011年3月までを予定しておりますが、好評であればその後も継続できたらと考えております。「みんパスチーム」に参加したい方はぜひ事務局までお問い合わせください!

第4回目となる「みんなのキャリアパス」は東京医科歯科大学大学院で教授をされている河原先生です。
河原先生は、今でこそ医療分野でご活躍されていますが、実は学生時代は最初に法学部に入学され、法学部を卒業後、改めて医学部へ入学し直し、医師免許取得されたという、大変に興味深いキャリアを積まれています。医師免許取得後は、なんと厚生省に入省され、その後長崎の離島や大阪の保健所に出向。そしてある時、突然国立病院医療センター(現国立国際医療センター)の国際医療協力部へ異動され、そこで医療分野での国際協力に携わられますが、一年あまりで本省に勤務に戻られ、その後は数年間本省勤務を経られた後、東京医科歯科大学で教授職に就かれ、現在に至られるのです。今回は、そんな様々な経験をお持ちの河原先生に、ご自身のキャリアパスと、先生の考えるこれからの国際協力についてお話を伺いました。

左:今回お話を伺った河原先生、右:GLMiインターン伊藤

河原 和夫

東京医科歯科大学大学院 医歯学総合研究科

環境社会医歯学系専攻 医療政策学講座 政策科学分野 教授

研究テーマ

「医療計画を踏まえ医療の連携体制構築に関する評価とその評価方法の開発に関する研究」

「採血基準の見直しと献血者確保の方策に関する研究」

「臍帯血を用いる造血幹細胞移植技術の高度化と安全性確保に関する研究」等

学歴

神戸大学法学部

長崎大学医学部

職歴

厚生省入省 健康政策局計画課 技官

長崎県出向 長崎県松浦保健所 医師

大阪府出向 大阪府寝屋川保健所 医師

大阪府立病院(兼務)医師

大阪府環境保健部医療対策課(兼務)技術吏員

国立病院医療センター(現国立国際医療センター)国際医療協力部

情報企画課 課長 及び 厚生省大臣官房国際課(併任)技官

厚生省保健医療局国立病院部政策医療課 課長補佐

福井県福祉保健部健康増進課 課長

厚生省保健医療局健康増進栄養課 課長補佐

厚生省保健医療局地域保健・健康増進栄養課 課長補佐

厚生省医薬安全局血液対策課 課長補佐

現在のポストにつくまで

医学部に入った理由として、「医学部へ入ろうと思ったのは、法学部に通っていた頃、医療問題を扱いたいと思い、それなら医師の資格を取ろうと思ったのがきっかけだった」と、先生はおっしゃいました。その後、先生は東京大学の大学院への進学を考えられましたが、その東大の教授から、「いずれ東大で研究するつもりなら、まずは厚生省でキャリアを積んだ方が良い」と進められたので、厚生省へ入省することを決意されます。
入省後は、長崎の離島で健診などの住民の健康増進を図る仕事に就かれましたが、先生は「ここには公衆衛生活動や臨床医学を指導する医師がおらず、仕事に追われスキルアップのために勉強をする機会が少ない」と感じられ、異動願いを提出し、大阪へ移られます。そして大阪で3年程勤務し、その間に神経内科の臨床にも短いですが従事し、その後は国立病院医療センター(現国立国際医療センター)の国際医療協力部への異動とされました。そこは当初から日本の医療分野の国際協力の中心で、具体的にはJICAからの要請があれば日本から途上国へ人員を派遣する、あるいは途上国から日本に研修生を受け入れる等の業務を担当されました。
そして、数年間本省にて勤務されますが、あるとき大学からのオファーがあり、「じゃあ(大学で)一回やってみよう」と決心されました。話はとんとん拍子で進み、のんびりしていると、すでに話は先に進んでおり「早く(転職の)手続きしてください」と大学から催促されたとのこと。
そのまますぐに大学で働き始めた先生ですが、就任当初は“実践と研究”の違いに苦労されました。というのも、実践分野、例えば“医療政策”であれば、今までの経験を活かして、既存の枠組みや法律等に則って政策を推進していけば良いのですが、“医療政策学”になってしまうと、ある事象や問題を科学的に分析するための膨大なデータが必要になるため、最初の2年間程は一般的な統計データを使用する等、とにかく必死で授業をなさっていたそうです。
上記のように、最初は苦労された教授職ですが、3年目になると、いよいよご自身のデータを使用できるようになり、問題は解消され始めます。そして現在は、東京医科歯科大学以外にも、一橋大学や東京外国語大学にてご自身の講座を持ち、幅広くご活躍されています。

学生時代の過ごし方

河原先生は、「とにかく早いとこ単位をとって、早く医学部を受けたかった」と、神戸大学の法学部時代はほとんど授業には出ず、代替可能な単位は経済学部や文学部等の他学部の授業で卒業単位をカバーする一方、医学部への入試に備えて自主勉強をされていました。受験するにあたって不安はなかったのかお聞きするそりゃあ不安だったよ。でも、当時は4年生の10月1日が企業訪問の解禁日だったんだけど、どこにも行かなかった。とにかく、背水の陣で臨んだよ」と、お答えになられました。リスクを背負いつつ、それに負けない行動力をお持ちということが、先生のお話しぶりからじわじわと伝わってきました。
その後の長崎大学医学部時代は、今まで受験勉強に時間を取られて教養の勉強が出来なかったので、それらの学習に力を入れる反面、1、2年時はある程度プライベートも充実され、自由に過されました。ですが、3年生からは解剖学等の実習が始まったため、勉強量が膨大になり、結局忙しい3、4年生を過ごされることとなります。そして今度は5年生、勉強で忙しいにもかかわらず、先生は大学の自治会委員長となり、学業以外の分野でも精力的に活動され、同時に、商工会議所の会頭やアメリカ海軍の司令官と交流する等、幅広い交友関係を築かれます。
このような学生生活を振り返り、「なんだかんだ、逆境に負けない精神力やバイタリティーのある人が世の中の中核になるんじゃないかな」と繰り返しおっしゃられました。確かに、“行動力なくして、何かを成し遂げるなど不可能だな”と、我々も強く感じました。

日本の医療分野における国際協力の現状とあり方

厚生省のキャリアの一環として、国立病院医療センター(現国立国際医療センター)の国際医療協力部にて国際協力分野に携われた河原先生は、同部にて、例えばJICAの要請による専門家派遣事業あるいは研修生の受け入れ事業、災害地への医療チームの派遣、そして途上国への医療機材・施設の提供等、様々な医療分野の国際協力業務に携わられました。そんな、医療分野の国際協力に精通していらっしゃる河原先生に、“日本の医療分野における国際協力の現状と在り方”について幾つかお聞きしたところ、先生は以下のようにお答えになりました。
「これまで日本は、途上国に病院を建設したり、医療機器を寄贈したりなど、お金をかけることは多くしてきたけど、これからは単にお金をかけるのではなく、もっと戦略的に、外交手段になるような国際協力を行なっていく必要がある。
例えば仕事でモロッコを周った時、モロッコに日本は心電計(心電図を図る医療機器)を援助したんだけど、実はそれを使って医療活動をしているのは中国人の医師で、結局モロッコの人々は“医療機器を提供した日本”よりも、“日本の医療機器を使用して治療をしてくれている中国人医師”に感謝するようになっていたし、“その医療機器も中国人医師が持ってきた”と思っている人も多かった。この状況は、日本にとって効率的な援助活動とは言えない。日本の援助が、日本のために生きてこない。
それから他にも、日本メーカーの最新医療機器をアフリカのある国に援助したけど、その国に同メーカーはまだ現地法人を持っていないから、メンテナンスが出来ず、トラブルがあっても結局そのまま(壊れたまま)。この場合は、日本産の医療機器を無理に使用するのではなくて、しっかりと現地に法人を持っている欧州のメーカーの医療機器を日本のお金で購入して、それを援助する方が日本にとっても途上国にとっても有益なんだよ。
あと、日本は技術力が高すぎるから、技術協力をしても結局途上国が使いこなせないという事例もあった。例えば、日本が技術協力でフィリピンに建設した“日本病院”は維持費が高すぎて、フィリピンのような途上国の保険予算の大半を占めてしまう。そうなると維持費が高いため結局料金も高くなり、誰も利用する人がいなくなるなど、せっかく日本の援助で建設したにもかかわらず途上国からは“ホワイトエレファント(タイの諺で、「役に立たない」という意味)”だと見なされてしまった。
とにかく、日本は技術力が高すぎて、日本の医療機器をネパール等の途上国に持って行っても何の役にも立たない。だって、そのような国にはコンセントすらないから。だから、(これらの問題を解決するために)これから日本は、例えばタイ等の中進国と協力して援助活動を行うとか、もっと戦略的に国際協力を行なう必要があるね。つまり、途上国に技術協力をする際、技術レベルもそんなに途上国とかけ離れていなくて、尚且つついこの間まで途上国が直面している問題を実際に抱えていたような中進国に、途上国への技術協力を依頼し、その際日本はその中進国が活動を行う際の高度な技術的問題(情報通信等のロジスティックス)や金銭面の援助を行い、中進国をバックアップする、という方法。これなら、(日本の様に技術の高すぎる国でも)もっと途上国の実状に合った援助ができるはず。
それから、人の改善も必要。というのも、日本はコンサルタントのレベルが低すぎる。日本の医療分野のコンサルタントは、“つい先日まで薬を売っていた人”が次の日には会社が変わってコンサルタントとして、JICA等によって医療機器や現状の調査のために途上国に派遣されるケースが多いけど、これじゃあ欧米の、その道のプロとして生きているコンサルタント達に叶うわけがない。だから、こういった“援助する人”の面の改善も必要。」

官僚と研究者、二つの仕事を経験して思うこと

医療分野の国際協力に関する、大変に深い見識を示してくださった先生に、今度は、官僚と研究者という二つの仕事を経験して思うことについてお聞きしました。これについて先生は研究者の場合は、政策提言できるけど実施できないし、対象を学問として扱うから、科学的にそれを分析するデータを集める必要があるけど、そのデータを集めるのに時間がかかって、とても大変だった。じゃあ、官僚の場合はどうかと言うと、厚労省で働く医師というのはほかの職員と同じように、事務、法律の原案や国会答弁を一緒に作ったり、自分の好きなことができたし、それからやったことが今でも残ってる(ただし、今は常軌を逸脱した“役人憎し”という歪な役所統治のため生産的な仕事ができないと思う)。けど官僚の場合、入省年次で最終的な役所等が決まるから、法学部を卒業したことが全く評価されない。」とおっしゃられていました。先生のお話しぶりからは、“政策提言できるが実施できない研究者”と、“実施できるがご自身の法学部の経験が評価されない官僚”の、双方の“もどかしさ”のようなものが感じられました。

医療分野の国際協力に求められる能力

最後に、医療分野の国際協力に求められる能力をお聞きしました。少しお考えになられて、先生は以下のように答えられます「このような国際協力の場で働く人は、常識がある、コミュニティー作りがうまい、そして、地元の文化宗教を尊重し、そこに適応できるという能力が重要だね。それから、国際協力の分野は、やりたいことはすぐできないこともあるから、(活動のための)基盤を築くための忍耐力も必要。例えば、女性がイスラム圏に派遣された場合、そこでの活動は非常に大変。母子健康を向上させるための教室を開いても、そこに来るのは最初は男性ばかり。肝心の女性は全く来ない。そこに女性を引っ張りだすために、現地の人々との信頼関係を築いたり、自分を認めてもらったり、なんだかんだ2年くらいかかったという話もあったよ。とにかく、一朝一夕には無理なことも多い。文化を尊重し、コミュニティーに溶け込み、活動の基盤を築き上げていく忍耐力は、やはりとても大事だろうね。」

インタビュー後、先生と握手させて頂きました
編集者(国際基督教大学:樋口さやか)の感想

医療を通しての国際協力、それも、官僚としてその分野に関わられた先生のお話は、そのように国際協力を考えることができるんだと納得させられることばかりでした。特に、国際協力の分野のみではなく、官僚としての経験をもとに、これからの日本のあるべき姿を語られている姿は非常に印象的でした。

インタビューアー(GLMiインターン:伊藤圭)の感想

実は、河原先生には私の通っている大学にて講義をしていただいたことがあるのですが、河原先生は上記の通り海外の医療事情は勿論、国内の医療事情にも大変に精通していらっしゃいます。先生はよく授業中に、「援助活動や別の仕事で海外に行くと、現地の担当者から、日本のことをあれこれと聞かれる。向こうの人は、こちらが日本のことなら何でも知っていると思って質問してくるから、こちらも、必死で色々勉強していくんだよ」と、笑いながら仰っていました。“こういう大変なことをやってのけるバイタリティが必要ということは勿論、将来海外で働くつもりなら、日本のことを色々知らないと、先方にあきれられてしまうかも…”と思った瞬間でもありました。
河原先生のように、“なんでも精力的に頑張れる人”になれるよう努力し、自分の夢を実現していきたいと思います。

◆質問などがありましたら…

 

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