みんなのキャリアパス第6回 国連開発計画駐日代表:村田俊一さん

2012/11/06

「みんなのキャリアパス」とは、大学、NGO/NPO、開発コンサルティング企業、国際機関などで活躍されている国際協力の「プロ」に、GLMインスティチュートのインターンやボランティアら、これから国際協力の一歩を踏み出す「卵」が中心となってキャリアや国際協力への想いをインタビューする新企画です。国際協力分野に興味がある人、将来国際協力分野で働きたいけど、まず何をしたらいいかわからない人とって必見の内容となっています。
インタビューした「プロ」たちは、皆熱い想いに溢れる魅力的な方たちでした。このインタビューが少しでも皆さんの夢を実現していく上で、お役に立てればと思います。今後3月までを目処に定期的に記事を更新していきますので、是非ご覧ください!
GLMi事務局より:

本企画はインターン、ボランティアを中心に立ち上がったみんなのキャリアパス実行チーム、略して「みんパス チーム」による 参加型企画です。彼らの自主性を尊重し、インタビュー対象者の選定やインタビューのまとめ方も「みんパスチーム」メンバーがそれぞれ行い、回ごとにまとめ 方が異なる場合もありますがご了承ください。また、インタビュー対象者も実名掲載の方、匿名希望の方などいらっしゃいますがこちらもご了承頂けましたら幸 いです。

本企画は2011年3月までを予定しておりますが、好評であればその後も継続できたらと考えております。「みんパスチーム」に参加したい方はぜひ事務局までお問い合わせください!

「みんなのキャリアパス」第6回目となる今回は、長きに渡り国連開発計画(UNDP)でのキャリアを有し、現在UNDP駐日代表を務めておられる村田俊一さんにお話をお伺いしました。

働くこと、生きること、すべてにおいて挑戦する姿勢を持っておられる村田さんから、キャリアだけに限らず多くのことを学びました。是非皆さんもこのインタビューをきっかけに、仕事、夢、人生について少しでも考えてもらえればと思います!

今回お話を伺ったUNDP駐日代表村田さん

村田 俊一

国連開発計画(UNDP) 駐日代表

学歴

関西学院大学法学部政治学科 卒業
米国ジョージワシントン大学院国際政治経済専攻 修士及び博士課程修了
ハーバード大学大学院ケネディスクール管理職特設プログラム組織管理学専攻 修士課程修了

職歴

UNDPウガンダ事務所勤務後、同ニューヨーク本部、エチオピア事務所にて研修終了
UNDPスーダン事務所及びニューヨーク本部にて勤務
UNDP北京常駐代表事務所 常駐代表補佐
UNDPモンゴル事務所 常駐副代表
UNDPフィリピン事務所 常駐副代表
ブータンにて国連常駐調整官 兼 UNDP常駐代表。ブータン政府の行政改革主席顧問も務める。
関西学院大学総合政策学部 教授
関西学院大学国際開発戦略リサーチセンター長(途上国の紛争問題とそれに関する援助政策専門)

1.UNDPで働くようになったいきさつ

村田さんは大学卒業後ジョージワシントン大学院に留学し、比較行財政学を学ばれました。しかし、これまで国連を目指されたことはなかったそうです。大学院修士課程時代、国連本部のインターンに応募・採用されたことが国連との出会いでした。

Q.なぜアメリカ留学をなさったのですか?当初は何を目指されていたのですか?

A.僕が大学生の時は学生運動の最後の時代で、ストライキで授業が受けられないことがよくあった。4年生の時なんかはほとんど授業に参加できなかった。そんな中で「学問をもう1度やり直したい」っていう切実な気持ちがあった。大学の時比較行財政学を学んで、世界のAdministration(行政・統治)のやり方の面白さを知ったから、アメリカでもう1度学んでみたいと思った。

当時はぼんやり研究者・学者になろうと思っていた。ゴールに国連があった訳じゃないよ。学問を真に追求したい、という純粋な欲求があった。

就職・結婚した友達が心配して「日本帰ってきても職がないよ」なんて言って来たこともあったけど、「お前はお前、おれはおれ」だと思ってた。だいいち、就職なんて日本でなくてもどこでもできる。どこでも生きていけるぐらいは稼げる自信があった。それより色んな世界を見てみたい、っていう興味が先だったんだね。

Q.では、大学院生時代国連のインターンをお受けになったのはなぜですか?

A.たまたま、だね。たまたま大学の先生が推薦してくれた。もしかしたらそれがなかったら、この世界には入っていないかもしれない

その後博士課程の時期に「UNDPに向いているから」という勧めを国連本部・国連日本政府代表部から受けJPOをお受けになったそうです。

Q.ご自分のどのような点が「UNDPに向いている」と判断されたと思われますか?また、実際UNDPに入って向いていると感じましたか?

A.今でも向いているかどうかわからないけどね(笑)
UNDPに必要な資質は、「勝ち取っていきたい」といういい意味での貪欲さ・意志の強さが必要だと思うよ。学問としてはhow でなくwhat、常に実践者であるということ。僕の場合、人間が好きだから勧められたのだと思う。これが1番大事。人間が好きじゃないと開発の場、世界の人を相手にする仕事ではやっていけない。異なるバックグラウンドを持つ人同士で協力して、適応する力が必要。好き嫌いが激しい人は難しい。すべてを1回受け入れる、そういう「鷹揚さ」がないと国連では仕事ができないんじゃないかな。

Q.そのような資質は村田さんが生まれ持ったものでしょうか?

A.そんなことないよ。これはうちのスタッフにも言うんだけど、天賦の才能なんてない。Human is trainable。頭脳はいくらでも鍛えられるし相当のものを克服できる。多大なポテンシャルを人間は秘めている。それを我々が勝手に線引きしているだけなんだよね。私はそう思うから今でも勉強している。今はComplex programmingっていうものをやっているよ。

Q.そのお勉強は、仕事の合間など時間を見つけてされているんですか?

A.仕事の一部だよ。仕事する上でのコツは辛い仕事も生活の一部だと考えて、enjoyするようにしなきゃいけない。

そして村田さんは、JPO合格後赴任希望地を聞かれた際、「日本から1番遠いところへ行きたい」とお答えになってウガンダでのUNDP勤務を開始されました。

Q.なぜ日本から1番遠いところへ行きたかったのですか?

A.結婚しようと思っていた彼女に振られたからだよ(笑) それで日本にいる理由がなくなった。それぐらい何でも、自分の命をかけられるほど徹底的に何かを好きになるという姿勢が大事。それが、人の心の痛みに対する理解力だとか仕事に没頭する集中力に関連して来るんじゃないかな。

2.UNDPでのキャリア形成、ケネディスクールへの留学

村田さんはその後、UNDPのAdministrative Training Program(現リード・プログラム)に合格し、エチオピア・スーダン・中国・モンゴルで働かれました。中でも36歳の時のモンゴルでの国家再建に関するガバナンスプログラムの実施は、村田さん自身にとっても印象的なお仕事だったようです。一方、仕事と家庭の両立が極めて大きな課題となった、とのことです。

Q.UNDPでどのようなキャリア形成を目指されていましたか。

A.キャリア形成なんか何もない。人間が生活する上で全ては計画できない。プラン通りに行ったためしがないけど、プランできないから面白いんだろうね。ただ、Administrative Training Programに日本人第1号として合格したのは、1つのキャリア構築として言えるのかもしれない。でもそれだけだ。

Q.村田さんはモンゴルでの国家再建のお仕事をなさいましたが、そのようなスケールの大きなお仕事を行った実感はどうでしたか。

A.わくわくするし、鳥肌が立つ。責任の重さと達成するゴールがあるからね。当時は3度の飯より仕事が面白かった。日本でこんな仕事はできない。

ただ、仕事のしすぎで家庭を顧みなかったら、奥さんが離婚してくれと言って来たんだ。これは自分の大きな失敗の1つだよ。それを機にUNDPから6カ月のサバティカル(長期休暇)を貰って、ハーバード大学のケネディスクールに行った。ケネディスクールは自分が財政学をやっていた中でPublic Policy(公共政策)の世界一だったから。トップスクールに行ってしのぎを削るほど勉強したし、研究もしたことは本当によかった。子どもが生まれたのもその時で、何もかもやった、という感じだね。

Q.そのときの経験が今どのように生きていると感じられますか?

A.まず、グローバルな人間のネットワークが広がった。今は大臣級になっている人が多い。あと、もう1度30代後半で学生に戻ると同時に父親にもなって、1度自分が過ちを犯したことの反省と、家族の再構成をした。すべての面で、自分にchallengeだった。それでなおかつ優等で卒業したよ。トップクラスの人たちと競争してやれる、という自分の確信もほしかった。

Q.国際協力でプロフェッショナルになりたい、と考えている人には1番を目指す、レベルの高いことに対してぶつかっていく、といった姿勢が必要ですか?

A.いい大学は勉強させられるというのは事実。だけども大学が1番かどうかということは関係なく、自分がコンスタントに進化していく努力をしなくてはならない。人間の価値観が変わり世界情勢も変わっていく中、自分が持っている知識もアップデートしなければならない。

Q.ハーバード大学でも研究が忙しかった、とのことですが奥さんとの関係はいかがでしたか?

A.数学・統計学の家庭教師を家でやったり、図書館に行かず家で勉強したりオンラインで仕事をすることも多かった。責任がないから家にいて学問をしている、というのは妻にとっては1番いい時期だったと思う。

Q.国際協力を仕事になさる方は、家庭と仕事の両立が1番難しいと聞きますが、村田さんの実感としてはどうですか?ご家族を大切にする上で意識なさっていることはありますか?

A.1番難しい。UNDPは離婚率が高いと言われるから、今まで続いている私は金メダルもの(笑)1日1回は必ず電話したり、自分なりに工夫しているよ。

3.大学教授としてのご経験

村田さんはその後フィリピン・ブータンのUNDP常駐代表事務所で勤務され、2002年から2006年まで関西学院大学の教授をお勤めになりました。

Q.一時期大学教授になられたのはなぜですか?

A.妻の体調が芳しくなく、日本に帰ることになり国連以外の所で働いてほしいという要望があった。それで非常勤で大学教員をやっていた経験もあり、大学の教員になるのが適当かな、と思った。それによって子弟育成にも貢献できるし、時間のflexibilityが生まれて学問をまとめ集大成とする機会となった点で非常に有効だった。

4.今後のビジョン、ライフワーク

そして村田さんは今後、次世代の教育という意味で中学生・高校生にまで裾野を広げた取組みをしていきたい、と述べていらっしゃいます。夢はUNDP退職後、バンを改造して「開発キャラバン」を作り全国の中学高校を回ることだそうです。

Q.なぜ中学生・高校生を視野に入れたビジョンをお持ちなのですか?

A.世界の情報にアクセスできない過疎地域の学生に、開発教育を提供していきたい。

Q.そのライフワークにおいて、恵まれない地域で開発をやるというマインドは途上国の場合と共通していますか?

A.そうだね。日本でも教育格差・貧富の格差はあるし、社会構造の切り方によっては差別されている地域もある。そういうところで少しでも私の考えが浸透したら、日本人としてのアイデンティティと世界とを繋げると私は思う。人材は都会にしかいないという仮説を覆したいんだよ。そういうことはあり得ない。情報や機会の差が極めて大きいんだよ。塾に行くお金が払えるかどうかでいい大学に行けるかどうかが決まってしまっているんだから。このような私の意識は「Gapを縮めたい」という学生運動の精神に端を発するかもしれない。

Q.学生運動の経験が村田さんの開発の道に繋がって行ったのでしょうか?

A.開発とは必ずしも関係ないね。学生時代専攻で地方分権について学んでいた。地方分権は行政サービスを住民に近いところで決定する、という発想なんだ。どうしてそんなことに興味をもったかというと、当時高度経済成長の中で公害に対して日本政府の対処が遅れたことがあった。今でも、あの時地方分権が発達していれば、と思うよね。そういったところから開発問題や公共サービスの問題が日本と海外で同じように起きている、ということは言えると思う。程度の差はあれ。私はあたかも海外のことばかりやっているようだけれど、「国内の国際問題」という形で考えると、これから日本の社会構造の中で労働力が不足していく、3Kの「きつい・きたない・危険」は全て海外就労によって担われていく可能性が非常に高いでしょ。しかしそれに対する法や社会サービスの整備は全然できていない。その子弟たちは差別され、なおかつその構造が拡大していくことで日本とそういった人の母国の人たちとの関係もギクシャクするんじゃないか、と考える。つまり国内の問題と国際問題は区別できないということ。これは自分のこれからの1つのテーマでもある。海産物や農産物を見てもわかるように、日本は世界に極めて依存している。

Q.報われない地域を活動の対象になさるにあたって、何かお考えが根底にあるのですか?

A.慈悲でやっているのではない。Gapが長続きすると、様々な運動に繋がるんだ。その運動が場合によっては戦争に繋がる。その予防措置としてgapが埋まる形で公共政策に盛り込んでいかなくてはならない。戦争のコストと犠牲者は甚大だからね。

5.その他、目的・意気込み

Q.仕事を通して追求なさる目的は、変わって行かれましたか?

A.目的は変わってきたよ。3回専攻も変わったし、人間は進化し続けるからね。そういえば今は、人間の能力の可能性にとても興味がある。Specialistではなくgeneralistになってはなぜいかんのだ、と思う。あなた(インタビュアーを指して)は普通の大学生だと自分では思っているかもしれないけど、もしかしたら料理の才能があるかもしれない。音楽の才能があるかもしれないね。そういった意味で、人間の能力の可能性は無限なんだ。その追求に私はとても興味がある。

Q.村田さんは既存の道を避けて、道なき道を通っていらっしゃったという印象を受けますが。

A.そんなことはないよ。既存の道に入ろうとしたこともある。楽だからね。だけどそれはその時点で楽なのかその後で楽なのかを考えると、その時だけ。自分の人生を自分で決めると思ったら、私は既存のレールに乗っからない方が基本的に楽なんだ。人に自分の人生決められてごらん。自分のアイデンティティがなくなってしまう。それがSpecialistの「うまくない」ところ。specialistだ!と他人に言われて、そこにとどまってしまう。

Q.「進化し続ける」上で、何か意識していらっしゃることはありますか。

A.全て受け入れることから始まる。色々な価値観を勉強してこいつ面白い考えもってるなーと思うことはあっても「何コイツ考えてるんだ」っていうような態度は私は絶対に持っていない。

Q.そのように考えるようになったきっかけというものはありますか。

A.国連に入ったばかりの時上司に叱られたんだよ。「お前は偏り過ぎ。もっといろんなアングルから見て考えなさい」って。そのときすぐ自分が偏見を持っていることに気付いた。それから考え方を変えたんだ。自分の価値構造が砕け散った。それまで「日本人」としてのフラッグが個人としての自分に先行していたんだ。でもその時に「日本人」としてではなく「村田俊一」個人としてのアイデンティティが始まった。自分の価値構造の中で「これが正しい」と意固地に思ってたのをよく考えて、間違ってるかもしれない、と思うようになった。

ウガンダに行ったときも思ったけど、そこにはそこの価値観があるんだ。私の価値観を持っていくんじゃ、植民地主義者で困るよな。色々な価値観があって混乱して、そこから整理するということを練習していく。「べき」論があるのではなく、それぞれの中で最大公約数を探していくんだ。それが「参加型」の源泉だよ。

Q.挫折から変わったことはありますか。

A.そんなの挫折ばっかりだよ。でも挫折は”learning process”。命がなくなる訳じゃない。議論に負けたとかで傷ついていてはいけない。厳しい言葉で何か言われたから「傷つく」、それは挫折じゃない。価値観がばらばらになって傷つくのなら分かるけど、言葉の端々が気になって「傷つく」、そんなのは挫折じゃない、単に「気にしている」だけ。そんなこと忘れてしまえ(笑) 明日のことを考えればいいんだよ。

Q.仕事の人生における位置付けはどのようなものですか?

A.自分を訓練するプロセスの1部。それをお金を貰ってやっているぐらいの気持ちだ。仕事に骨をうずめるなんて考え方は私にはない。そしてそのtrainingを活かすために転職する。勿論その職場で続けたければそうすればいいけど。仕事で学ぶ、ぐらいの考え方が丁度いいと思う。仕事を堅く考えすぎない方がいいね。

Q.国際協力を志している若者に対してメッセージ

A.それはシンプルだよ。まずは日本を抜け出して、色んなボランティア活動をしたり現地の人と話すこと。現地を見ること。それがスタート。海外じゃなくてもいいかもしれない。例えば群馬県大泉町みたいに4人に1人がブラジル人のようなところに行くのでもいいし、新宿の小学校にも海外就労者の子弟が沢山いる。

自分で行動を起こす時、自分と価値観が違う所に行ってそれを確認するんだ。同じ価値観を持つ人間と働くことはcomfortableではあるけれどもそこから学ぶことは少ない。「あいつやな奴だけど仕事はできる」それがいいんだよ(笑)それを実践するのが今日なのか明日なのか明後日なのか、それは全て自分にかかっている。

コミュニケーションに関して今の若者に対して1番言いたいのは、1回e-mailを全て止めてみよう、ってこと。Face to faceか電話にする。そうすると価値観がぶつかり合うよね。場合によっては取り返しのつかないことになることさえあるかもしれない。ドキドキするけどそれがいいんだ。1番効果的。例えば銀行での取引はface to face なしではいけないだろう。メールは便利だけど、しばしば感覚のギャップを生む。そういった意味で電話、メール、face to faceとコミュニケーションツールを上手く使い分けることで、思いのぶつかりあい、価値観のぶつかりあいを経験することが大事だと思う。

編集者(一橋大学:井上ふみ)の感想

この度村田先生のインタビューを経験させていただいて、本当に考えさせられることばかりでした。「全ての価値観をまずは受け入れる」「人生はプランできないから面白い」「挫折はlearning process」のような数々のお言葉が、日常においても度々思い返されます。

先生の歩まれてきたキャリアを一見したとき、「きっとスゴい人なんだろうな」と、自分には全く手の届かない「特別」な存在として先生を認識する人も少なくないでしょう。私もその1人でした。しかし今回お話を実際伺うことで、華々しく見えるキャリアパスの裏に、歯を食いしばっての努力や、夫・父として家族のことを深く考える姿があることを知りました。

国連で働くこと、国際協力に全力で携わることには勿論様々な障害が付きまといます。しかしその1つ1つに正面から対峙し、逃げることなんか思いもつかなかった、と言わんばかりの先生の姿から、私達が学ぶことは計り知れないでしょう。

インタビューアー(早稲田大学:大里宗也)の感想

実力主義の国連で20年近くのキャリアを有し、UNDPの駐日代表にまで登りつめた。学歴にはハーバードの修士号があり、関西学院大学の教授も務めた経験がある―。

その経歴を知った時、一体村田さんとはどんな人なのか、想像もつきませんでした。なんとなく、いかにもインテリなオーラを漂わせた人なのかな、と思っていましたが、実際にお会いしてみた印象は、それとは全く違ったものでした。

一言で言うなら「豪快」。どんなことに対してもとことん徹底してぶつかっていける、圧倒的なバイタリティーをもった方だということが、お話を通して伝わってきました。

私はいつからか、スケールの大きい仕事に従事することに無性に憧れてきました。なので、モンゴルで国家の再建に携わったり、ブータンで行政改革首席顧問を務められた村田さんからお話を聴けたことは、本当に貴重な体験でした。

インタビュー、ありがとうございました。

◆質問などがありましたら…

 

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