2012/11/08
本企画はインターン、ボランティアを中心に立ち上がったみんなのキャリアパス実行チーム、略して「みんパス チーム」による 参加型企画です。彼らの自主性を尊重し、インタビュー対象者の選定やインタビューのまとめ方も「みんパスチーム」メンバーがそれぞれ行い、回ごとにまとめ 方が異なる場合もありますがご了承ください。また、インタビュー対象者も実名掲載の方、匿名希望の方などいらっしゃいますがこちらもご了承頂けましたら幸いです。
本企画は2011年3月までを予定しておりますが、好評であればその後も継続できたらと考えております。「みんパスチーム」に参加したい方はぜひ事務局までお問い合わせください!
「今回のインタビューは、現在開発コンサルタント会社にて保健分野の専門家として活躍されている木下真絹子さんです。大学時代のお話から現在の仕事に至るまでの多様なキャリアパス、そしてこれからの抱負等を、ご自身の経験そしてプライベート話も交えながらお話してくださいました。
木下 真絹子
グローバルリンクマネージメント株式会社 社会開発研究員(国際保健)
学歴
関西大学法学部 卒業
ピッツバーグ大学院国際公共政策大学院 国際行政・社会経済開発学修士課程修了
ジョンズポプキンス大学 公衆衛生学修士課程修了
職歴
米国コンサルタント会社(John Snow Inc.)
米国NGOカンボジア事務所(Partners for Development)
カロリンスカインスティチュート 国際保健研究所
(特活)アムダ社会開発機構 本部、ミャンマー事務所、ザンビア事務所
JICA(国際協力機構)ザンビア事務所
インタビュー開始後まもなくして、木下さんは「国際協力を目指す人にはぜひ現場に行ってほしい」と核心をつくメッセージを発した。木下さんは今でこそコンサルタントとして日本ベースで仕事をしているものの、それまでは現地のコミュニティに入り込み、住民の目線で物事を考えるという姿勢を崩さなかったという。「遠く離れていても現地の彼らの感覚がわかるようになったなと思えてからですね、今のコンサルタントの仕事を始めたのは。そういう感覚が身についたからなのか、現場から離れていても誰のために仕事をしているのかをしっかり実感できている。納得した上で今の仕事ができるようになりました。」と話す木下さんは、現場での経験が仕事する上での自分の軸となっているという。
さらに、現地住民やコミュニティを尊重する姿勢も大切だと話す。現地に行き、そこにあるものに気付く。先進国のようにモノにあふれた環境で生活を送っていない彼らは、生きていくための知恵が私たちよりはるかに多いという。それをいかに引き出せるかというファシリテーション能力が開発に携わる人には求められている。そのために欠かせないのが、彼らとのコミュニケーションである。
Q. 現地の人々とはどのように関係を築いていったのですか?
A. とにかくたくさんの時間を一緒に過ごすこと。現地にいるときは冠婚葬祭がものすごく大事なんです。楽しいときは一緒に笑い、悲しいときは一緒に泣く。そうしてともに過ごしていく中で人間関係というものは作られていきます。
ザンビアで結核対策の仕事をしていた時のこと。結核の病気そのものは薬で治すことが可能であるが、それ以前に様々な問題が存在していた。それらは安全な水がない、距離が離れているなどの物理的な問題から、差別や孤独感といった精神的な問題にまで派生する。そういった人々に対して住民や地域全体でどのように働きかけ、勇気づけることができるのか。これは医療面以外の重要な一面であり、医者や医療従事者でない立場だからこそできる関わり方であるという。
Q. 国際分野に踏み込むきっかけは何でしたか?
A. 国際協力の仕事の原点といえば、保育園の時代にさかのぼるかもしれませんね。私は両親が共働きをしていたので、1歳になってすぐ保育園に通い始めました。たまたまそこは総合福祉の施設で、保育園だけでなく特別老人介護施設や障害者福祉施設が併設されていました。そんな環境の中で、寝たきりのおじいさん・おばあさんや障害のもった子供たちが私の日常の中にとても当たり前のように溶け混んでいたことから、私は小さいときからお互いの「違い」を普通に受け入れて育ったのかもしれません。そう、人との間にも違和感を感じず、お互いを受け入れようとする姿勢が国際協力や国際交流の道にごく自然に導いてくれたのかもしれませんね。
その後、大学院に進んだ木下さんは社会経済開発の特に女性学を学んでいたこともあり、南アフリカでのインターンではヘルスセンターや病院に赴任する。そこで国際問題に“点”ではなく“線”で関わりたいとの思いを強くしたという。「保健問題でいえば、病気そのものに対する勉強ではなくて、お母さんや子どもが健康でいるためにはどうしたらいいのか、病気にならないためにはどうしたらいいのかという考え。現地の人々の人生を通して見えてくる健康問題に一緒に関わっていきたいと思ったんですよ。そういう“線”としての関わり方が自分には向いているなと感じたんです」そこには、現地住民との一時的な関わりではなく、“線”となって問題解決に一緒になって取り組みたいという木下さんの強い思いがある。
そうして、健康なくして生きられないという思いから地域開発を「健康」という切り口から取り組むことを決意する。これが、木下さんの今のキャリアにつながる国際保健医療分野との出会いである。
後にアメリカの大学院で公衆衛生を勉強し、スウェーデンで仕事に就いた木下さん。そのいきさつについて伺うと、驚くべき答えが返ってきた。「大学院で勉強していたその当時、お付き合いしていた男性がスウェーデンの人だったんで、一緒に暮らすために北欧に行ったんですよ。私はキャリアに生きるタイプの人間ではないので。「愛」に生きる人間といった方が適切ですね(笑)。でもね、不思議なことに好きなことをしていて自分の気持ちに素直に生きていれば、仕事は後から付いてくるんですよ。実は・・・これまでの私のキャリアパスも実はそうやってできたようなものです」
様々な場所で経験を積まれてきた背景には、木下さんのパートナーを大切にする人間性が大きく関係していたのだ。常に自分の心に素直になって仕事もプライベートも大切にする木下さんは、これまでの人生を振り返りこう話してくれた。「これ以上のことはないと思える選択をしてきたし、ひとつひとつに一生懸命取り組んできたから悔いはないですね。仕事も恋愛も。ひとつひとつ区切りがあるのではなく、すべてはつながっていると思います。人生はやっぱり楽しまなきゃ意味がないですからね」
Q. 今後どのようなかたちで国際協力に携わっていきたいですか?
A. ODAの枠を超えて社会変革などを真剣に皆で話し合う場。自身の経験を話して共有できる場が理想ですね。そのために今は自分の経験をしっかり体系化する必要があり、そういう意味で少し研究活動もやりたいなと思っています。経験を外に伝えていくためには過去をしっかり振り返る必要がありますからね。様々な人と交流し、アイディアを共有する。この意味では、フィールドが途上国に限らなくなりましたね。これからは広く、人と交わりつながりながら国際協力・開発を学ぶ一つの場を提供していけたらいいなと思いますね。
国際協力と一言でいっても、関わり方は本当に人それぞれだなという思いを改めて強くしました。仕事だけに生きるのではなく、プライベートも同じように大切にされている木下さんの生き方は、お話を聞いていて非常に興味深いものでしたし、同じ女性として憧れるところもありました。木下さんのように、自分にとって大切なものは何であるのかをしっかりと理解し、その思いにまっすぐに生きていきたいと思いました。楽しいお話で時間があっという間でした。木下さん、本当に有難うございました。
優しさの中に揺るぎない信念を秘めていた木下さん。木下さんが発する言葉ひとつひとつには、温かみだけでなく実際の現場での過酷な状況を体験してきた重みを感じていました。自分のやりたいことや気持ちに率直に向き合い人生を歩んでいる木下さんの生き方は、とても人間味があり、かっこいい、自分もそう生きてやると感じさせられました。自分が本当にやりたいことはなんのなのか。そう簡単には見つからないとは思いますが、そのことを念頭に置いてまずは今、目の前にあることを一生懸命やっていきたいと思います。
短い時間でしたがありがとうございました。